阪市生委員童委員議会

大阪市民生委員
児童委員協議会について

大阪市民生委員児童委員協議会について

各区民生委員児童委員協議会の全民生委員・児童委員で組織された団体で、民生委員児童委員信条並びに児童憲章の精神に則り、民生委員・児童委員活動の推進と民生委員・児童委員相互の連絡調整を図り、福祉事業の発展を期することを目的に設置されています。

民生委員制度と方面委員制度

米騒動のあった大正7年秋の夕暮れ、淀屋橋畔の理髪店で大阪府知事林市蔵が散髪していたとき、鏡に写る街の風景を見るともなしに見ていたところ、夕刊を売っている母と子の姿が鏡に写っていました。

この母親は秋だというのに浴衣を着て、素足に下駄をはき、背中に乳児を負い、片手に幼児の手を引いて夕刊を売っていました。林知事は散髪を終わって、夕刊売りの母子に近づき母親に夕刊の売り上げなどを聞いた後、近くの交番に行き、巡査にこの母子の身上調査を命じました。

翌日、林知事が出勤すると復命書が机上にありました。これによると、夫が病気のため職を失い、妻子で夕刊売りをしてほそぼそと家計を支えているということでした。夫は病院にもいっていない様子であり、知事はこのような人には相談相手が必要であると考え、大阪府嘱託の小河滋次郎博士に命じて大正7年に方面委員制度を創設し、小学校区に10数人の委員を委嘱しました。

これが民生委員制度の前身の方面委員制度です。方面委員制度の生みの親である林市蔵氏の銅像は、淀屋橋の南西にあります。